アユタヤとアヨーディア その1
バンコク経由で、今回、インド入りします。来たかったアユタヤ遺跡群へ足を踏み入れることが叶いました。 前回はデリー経由でカングラ空港へ飛び、ダラムシャラ入り。今回はバンコクからカルカッタへ。アユタヤに来ることも大事だったなと実感しています。 その後、ブッダガヤ、アヨーディア、シュラヴァスティ、サールナートなどを、導かれるままに巡ります。 これは、仏陀の足跡、霊脈、を辿る旅でもあります。
市村さんと共に巡ることになりました。不思議なご縁です。前回のインド行きは大切な宗像の女神、志乃婦さんが旅立たれた直後でした。ガンジス川の聖域ハリドワール周辺でエラゴンはご夫妻の夢を見て、私は行く先々で、彼女の存在を感じていました。そして、今年の初めに、はっきりくっきりと2人の夢を見た。その夢で感じられたメッセージや波動を市村さんにもお伝えしました。 それで、ハートの深くで感じるまま。インドに行きませんかとお声かけした流れです。
そもそも、あれはまだ志乃婦さんがお元気だった時。昨年の春。最後に宗像のご自宅を訪問した時じゃなかったでしょうか。市村さんが仏舎利を見せてくださった。翌日に夢を見た。その夢の内容は、はっきりと覚えていないけれど、インドに関する夢だったと思います。カイラスのクオーツがエラゴンを待っている…というメッセージ。そこからクリスタルたちとの出会いもあり、ヒマラヤインドへの引き寄せが始まったのです。
セレモニーで、レムリアンのメッセージを聞いたり、四国・広島への磁場調整の旅でも、オーストロネシアの古い海洋民族や古代宇宙戦争(マハーヴァーラタ)のアカシックに繋がったり、マダカスカルクオーツとの交信なども経て…書ききれませんが、今に鮮やかに思い出されます。エラも、友人たち、子どもたちも一緒に体験してきました。
そして昨年11月には念願のダラムシャラにて。ダライラマティーチングを受けて、素晴らしい出会いが多々ありました。それは韓国のブッディストが主催して実現したものでした。ティーチング直後には15歳の息子に韓国人の小グループのリーダーの方が話しかけてきてくれて、その2ヶ月後になる数日前の息子の16歳のお誕生日に友人と駆けつけてくださったという流れ。
ナツメで有名な場所からナツメ茶とたくさんのお土産を携えて。その方たちは私たちの血脈の先祖の出身地からのメッセンジャーでした。
私の韓国の先祖の氏族の本貫は河陽許氏です。その祖先は、インドから伽耶の国に王妃として嫁いできた許黄玉です。5月には韓国の先祖の出身地に案内して頂くことになりました。 私は4歳の時に実父と別れており、つい最近まで自分に韓国の先祖の地が流れているとは知らずにきました。母も私が戸籍を調べるまで、知らなかったそうです。なぜなら、実父の母は鹿児島の人だったし、その父はいつも着物を着ていて、韓国の人とは思わなかったそう。 クリスチャンだとも言っていました。鹿児島の流れを少し辿れて聞いてみたら、その先祖たちは、江戸時代から厳格なクリスチャンだそうです。 自分が興味を持って勉強していた金官加羅の歴史。その王妃がインド人であることなど研究していたのですが、自分自身がその王妃の息子の流れの氏族の許氏に繋がっているとはつゆ知らず。でした。 今回、タイエアウェイズで来たのですが、機内のテレビ番組に南韓国河陽の自然や史跡が数分間映されました。それも祝福と感じました。
“BC1500 年頃~1200年頃、エブス人たちの海人は、レバノンのアルワドからインドのロータルに移住し、デリーを経てマガダ近くまで移動し、インド十六ヶ国時代、 コーサラ国、アンガ国などの日神王朝諸国になりました。日神系のなかにはアンガ、コーサラ、マツラなどの諸国がありましたが、アンガ国はソロモン王のタル シシ船の移民の地でありコーサラ国はフェニキアのアルワド人の植民市であり、マツラ国はアラビア海のメルッハ人の国家でした。釈迦は、コーサラ国のなかの 王族でした。駕洛国の王は、金首露で、王妃はアウド国の女【許氏】で、【許】がアウド国の別名コーサラを指します。皇統譜のなかの孝昭、孝安の実体は国東半島と宇佐、豊前にあった東表国、即ち駕洛国の王でした。(宇佐八幡の御神体は御許山)アウドとはアヨーディアの語源。”(https://trakl.exblog.jp/17888376/より)
“ここで登場する「阿踰陀(アユタ)国」はインドの古都アヨーディヤーだと思われます。アヨーディヤーはウッタル・プラデーシュ州北部に位置し、古代コーサラ国の初期の首都とされ、インドの二大叙事詩の1つ『ラーマーヤナ』の主人公で「薔薇色の瞳」を持つ英雄ラーマ王子の故郷としても知られています。ラーマ皇子は猿軍団(猿族=ヴァナラ族)とともに戦ったといいますが、その中でもっとも勇敢な戦士ハヌマーンは孫悟空のモデルになったと云う。アヨーディヤーは「難攻不落の都城」を意味し、また、コーサラ国の勢力範囲には釈迦族が居住していた為に仏教説話の主要地でもありますが、前5世紀、マガダ国との戦いに敗れコーサラ国は滅亡。ちなみに、タイの古都アユタヤもアヨーディヤーの名に由来するという。
ラーマ王子の伝説ラーマーヤナがタイに伝わった時期は、11~12世紀頃。タイの首都バンコクの北にある古都アユタヤは、14世紀中頃、アユタヤ朝の都として築かれました。アユタヤという王朝名は、ラーマーヤナの王国の都、「アヨーディヤ」からきている。初代の王「ラーマーティボディ1世」はラーマ王を意味する。タイの王室とインドのとの結びつきは深く歴史がある。”(Wikipediaより)
タイの観光地「アユタヤ」は、この記事で出てきたアヨーディアにちなんでつけられている。 タイの古都アユタヤ更にはインドネシアの古都ジョグジャカルタもアヨーディヤーの名に由来する。 そして今日、初めて古都アユタヤへの旅が実現✨ ダライラマのイニシエーションを受けて、仏陀で繋がった霊脈や血脈へと。ボディ意識で到達するという歓び。 ティーチングの最初に、東南アジアの僧侶の方々のマントラが捧げられていました。ここタイでそのマントラと同じ言葉、(パーリ語だそう)がいろいろな寺院で聞かれました。 子どもたちが今朝、許可をいただいて僧侶の方と交流しています。今回はドキュメンタリーでインタビューに挑戦するそうです。
💫💫💫アユタヤ遺跡は想像以上に美しく壮大でした。 最初に訪れたのは…ワットチャイヤッタナラム 河に船が行き交う風景が異様に懐かしく… いにしえの奈良を思わせるような。なんとも不思議な気持ちになりました。 志乃婦さんのデザインした衣装を着た市村さんが、現地の方にお坊さんかと間違われていました🤗
壮大な遺跡のスケールに圧巻。そして美しい仏塔、建築様式。それと同時に破壊された石像たち(首から上のない)がなんとも言えない気持ちになりますが、 ここに来れた歓びがまさって、ハートが静かに高揚し続けるのでした。
続きます。
“アユタヤ遺跡群は、チャオプラヤー川とその支流であるパーサック川、ロップリー川に囲まれた中州に集中している。これは、敵からの防御を考えて中心部の回りに運河を掘ったことによるものである。ワット・プラシーサンペット、ワット
・ローカヤスターラームなどの寺院跡、王宮跡が残る。
これらの遺跡を作ったのは1351年 - 1767年に存在したアユタヤ王朝である。この王朝は、ナーラーイ王時代には現在のラオス、カンボジア、ミャンマーの一部を領有するほどの勢力を持っていた。中心都市であるアユタヤは、流れの穏やかなチャオプラヤー川に位置し、貿易に持ってこいの地形であった。この貿易に適した地で、王はその独占貿易で莫大な利益を収め、同時に上座部仏教を信仰していた王は、この莫大な利益をもとに数々の寺院(ワット)を作り出した。しかし、1767年のビルマ(ミャンマー)のコンバウン王朝による攻撃を受けてアユタヤ王朝は消滅した[3]。同時にアユタヤ市内の建造物や石像は徹底的に破壊され、ほとんどの寺院は廃寺となり、王宮も台座を残すのみとなった。世界的にみてアユタヤの建造物の多くが比較的新しい建造物であるにもかかわらず、そのほとんどが煉瓦のみになっているのは、このためである。”(Wikipediaより)
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